沖縄・至高の織物を訪ねて
真野 響子
沖縄は返還の直後くらいから十数回訪れる幸運に恵まれていて、その度に新たな魅力を見せてくれています。仕事の時も、プライベート旅行の時も、目的は違ってもよい思い出しかなく、帰るときの後ろ髪を引かれる想いはいつも同じ。
今回は「婦人画報6月号」の着物の取材です。作家の方にお会いして、取材をして記事にし、その着物を着て撮影します。10年ほど前に三年間連載した「着物遺産」というページの続編で、当時も痛感しましたが、驚くほど資料がありません。検索すると、「民藝(東京の「日本民館」にある柳宗悦が主宰していたという機関誌)」の2005年7月号に、沖縄の衣の特集があることがわかり、問い合わせました。編集員の鈴木理恵さんのご対応は、琉球の織物を絶賛して止まない柳の思想をそのまま踏襲しているような見事さでした。送られてきた資料を握りしめ、まず石垣島の八重山上布の作家新垣幸子さんを訪れました。新垣さんとは故高橋治氏(新垣さんをモデルにした小説「星の衣」の作家) を通じた旧知の中で、手を取って再会を喜び合いました。既存の八重山上布は白地に絣模様でしたが、かつて存在した鮮やかな合いのものが「日本民藝館」にあると聞き、新垣さんは出向きます。そうして復示されたものは新垣さんの新たな作風となり、石垣島の豊かな自然や風物から生まれた色と柄で織り上げられ、石垣の博物館にも納められています。その着物をまとって写ると、自分がまるで石垣島の風土の中に溶け込んでいくようでした。
那覇では、最近人間国宝になられた祝嶺恭子さんを取材しました。識名にある簡素な工房で、のれんの向こうから現れたお姿は、まるで妖精のよう。お話も、祝嶺さんにしか起こらないような、おとぎ話のような、織物に導かれて今に至った物語でした。最も印象的だったのは、プロイセン王国時代に、琉球工芸の散逸を恐れ、ベルリン国立民族学博物館に保存された琉球王朝時代の染織を、55歳の時に調査しに行ったこと。117点を対象に、拡大鏡をのぞいて糸の本数を数え、染色法を探り、図案を起こし復示したのです。そしてその20年後、75歳で再びドイツへ赴き、集大成の報告書を作成。この報告書は誰でも手に取れるように、沖縄県内の全ての公立図書館に配付されています。人間国宝とは技術国宝のこと。祝嶺さんは、ご自分の研究成果を作品に織り込むことをしています。その作品は華やかで重厚で、まとうと心が冴え冴えとします。
ザ・ナハテラスには今までに何度か宿泊させていただいていますが、なぜかバンコクの定宿にしていたオリエンタルホテルのくつろぎに似ていて、同じ匂いと懐かしさを感じるのです。シンボルマークの扇も、ナハテラスはクバ扇ですし、さりげないホスピタリティー、売店のセンスの良さ(欲しいものばかりです)、食事の美味しさ、旧き良き時代の写真の展示、部屋のアメニティーの充実感(デスクの引き出しの中の小物まで)どれもこれも懐かしい。撮影前夜、ホテルでスペイン製チャコールオーブンで焼いたタパスを何皿も堪能した後、少し歩かなければと思い、外出をスタッフに報告していなかったので、フロントにお伝えして、通りまで出ました。
左手に首里城という看板があったので、ロケの下見がてら行こうと決心し、人っ子一人居ない「坂下通り」のだらだら坂を果てしなく上り詰めていくと、いつしか高台になっていて、きらきら光る沖縄の夜景が眼下に広がりました。やっと首里城にたどり着き、ライトアップされていた荘厳な歓会門を見た時の感動。猫が出迎えてくれました。帰りは数人の酔っぱらいに会いました。「戻りました!」とフロントに報告すると、笑いながら労をねぎらってくださいました。往復2時間もの散歩でしたから。我が家に帰ってきたような安心感でした。
また良い思い出をたくさんいただき、後ろ髪を引かれる思いで沖縄を後にしました。
再見。
(俳優)